バランスシートの導入、ヘルプマーク、ディーゼル車規制、五輪招致、首都大東京、大江戸線…「東京から国を変える」石原慎太郎元都知事の功績を振り返る

こんばんは、江東区の小松みきひでです。

石原慎太郎元都知事が亡くなられました。

石原慎太郎さんといえば、都知事のイメージ。私が3歳の頃、1999年に都知事に当選をされ、4期14年都知事を務められました。

その後も、日本維新の会の立ち上げに携わり、「日本国民への遺言」と自ら銘打った国会での代表質問は有名です。

その場にいる国会議員も皆目を見開いて聞き入り、日本という国家の自立を説き続けた石原慎太郎さんの想いと教養の深さが伝わる名演説でありました。

偲ぶ声が各界から相次ぎ、改めて偉大な政治家であったことを思い知る次第です。

そんな石原慎太郎さんは今日の都政を語る上で様々な功績を残されてきました。今回は振り返りたいと思います。

バランスシートの導入

東京都では、民間企業と同じように貸借対照表、いわゆるバランスシートを導入しています。

単式簿記・現金主義であった従来の公会計制度改め、バランスシートの考え方を導入したのが石原慎太郎さんでした。

そして今なおこの考え方は都政に息づいています。

「首都大学東京」

私が卒業した大学である「首都大学東京」の名付け親でもありました。

なお、小池都政の下で、大学の名称は「東京都立大学」に戻りました。当たり障りのない学部学科に再編され、卒業したコースも無くなってしまいましたが、私は首都大学東京という名称も、大学に込められた想いも好きでした。

(大学改称を喜ぶ「首都大」生もいて在学中につくづくうんざりしたものですが)

同時期に新銀行東京という銀行もありました。首都大東京が、「大学」が最後につかない唯一の大学であったように、「銀行」が最後につかない唯一の銀行だったようです。

都営大江戸線

名称シリーズが続きますが、都営大江戸線もそうです。

もともと「東京環状線ゆめもぐら」という名称になろうとしていた中で、「環状線というのは、同じところに戻ってくることを言うんだよ!」と激昂してボツになった話は有名ですね。

作家だから、ではなく、政治家だからこそ、一つひとつの「言葉」やその意味にこだわることは本当に大切だと思いますし、そのことを理解している政治家がどれだけいるか、今後の日本を危惧するところでもあります。

ヘルプマークの導入

今でこそ有名なヘルプマーク。外見ではわからない障害を持った方が身につけるマークで、時折電車やバスでも身につけている方を見かけます。

このヘルプマークは、2012年の都議会予算特別委員会で、やまかあけみ都議が提案し、石原都政で導入されました。(当時の都議会の議事録はこちら

私の議会質疑提案を受け、当時の石原慎太郎知事のもとで東京都がヘルプマークを作成し、その後2017年、70年ぶりにJISマークの福祉部門が改正された際、「ヘルプマーク」が正式に追加され、全国共通の福祉マークとなりました。

NPO法人日本ヘルプマーク普及開発協会

五輪招致

東京オリンピックの誘致活動を始めたのも石原知事です。

最初は2016年大会の招致を目指していましたが、猪瀬都政にも引き継がれ、2020年大会の招致を決めました。

コロナ禍という未曾有の状況に、無観客での開催とはなりましたが、経済の低迷、震災や原発事故で閉塞感がみなぎる日本に、2020という一つの締切効果を生み出し、多くの国民に夢と希望を与える大会になったと思います。

江東区の山崎孝明区長は、都議会議員時代に、「東京オリンピック招致議員連盟」の会長として、石原氏とオリンピック招致を進めました。
山崎区長は「招致を進めるうえで石原氏は、“日本全体が行き先の見えない混とんとしていた時代に大きな目標を作る必要がある”と言っていた。その目標をかなえるために、当時、折り合いの悪かった政治家や団体にも頭を下げていたのを思い出します」と当時を振り返っていました。
そのうえで「私は石原氏が行政の長として強烈なリーダーシップを発揮する姿に憧れて都議を辞めて区長になった部分もある。そういう人が亡くなり、とても寂しい」と話していました。

NHK NEWS「石原慎太郎氏死去 ゆかりの土地や街の人たちは」

江東区の山崎区長の発言からも、五輪招致の狙いや、影での働きが窺えます。

この他にも、ディーゼル車の規制や東京マラソン、横田の軍民供用化など、石原慎太郎さんの功績は枚挙にいとまがありません。

『都政は現場を持っている』が口癖だった。「『国がやらないなら東京がやる』という形で、職員の士気が高まった」

https://www.jiji.com/amp/article?k=2022020100891&g=pol

多くの都議や都庁OBがこう振り返るように、「東京から国を変える」という気概を持ち、行動をし続け、結果を出してきた知事であったのだと思います。

先ほど、都議会の百条委員会の映像を見直していたのですが、豊洲市場問題でも、「科学が風評に負けるのは国辱」という発言を残されました。

改めて、首都東京の政治行政はどうあるべきなのか。政治に関わる端くれとして考え続けていきたいテーマだと強く思います。

最後に。石原慎太郎の政治家としての姿で最も印象に残っている光景を。

多大な功績を残されたことに、敬意を表すると共に、衷心よりお悔やみを申し上げます。

それでは、また。

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