【新今宮ワンダーランド】西成で「ホームレスとデート」。大阪市のPR記事は是か非か。

こんばんは、江東区の小松みきひでです。

新今宮と聞くとピンとこない方も多いかもしれませんが、「西成」「あいりん地区」「飛田新地」といったワードは聞いたことがあるのではないでしょうか。

そんな新今宮エリアを題材にしたこちらの記事がTwitterで大炎上しています。たとえばこんな感じ。

元記事は、大阪市西成区役所が「新今宮ワンダーランド」と銘打った、新今宮エリアの地域ブランド向上に向けた取り組みの一環としてのPR記事のようです。(西成区役所のプレスリリースはこちら

私は、炎上後に元記事を読み始めたのですが、正直言って「違和感や嫌悪感を覚えることすらなく、すんなり読めてしまった」のです。炎上の理由がピンとこなかった。

何か私は常軌を逸した感覚のズレでもあるのではないか…と心配になり、何人かとやり取りをしました。その中で、いくつかの論点・視座を得たので、自分自身の思考を整理する意味も含め、ブログを書いています。

①ライターさんの記事における「表現」

デートという表現がキモい、思ってもいなさそう

まあ、これは表現の好き嫌いなので、あまり気になりませんでした。村上春樹の文章、好き・嫌いあるよね~くらいの感覚です。

②ライターさんの記事中の「行動」

施す側の視線なんですね。ホームレスの人の視点はどうなんですか。

特技とお金を交換する部分、吐き気がする。相手はお金がないのに、金が欲しければ芸を見せろ、って…

問題はこちら。私は、情景を思い浮かべながら読んでいたので、正直ここに突っかかりがありませんでした。

私自身がなぜそのように感じたかというと、ライターさんとお兄さんのこの会話。

「まだ驚いてるわ俺……声かけた人と、ご飯食べてる…」

「さっきからそれ、めっちゃ言ってますね」

「普段、ほんまにずっと一人やから。こういう感じで誰かと食べるん、ほんまに10年ぶりくらいやと思う。っていうか、ちゃんと女の人と喋ったんも、10年ぶりくらい」

これまで人々に無視をされるか、行政や支援団体の用意するパッケージに乗っかることしかできなかったのであろう方が、
普通の会話ができた、という私たちが日常的にかみしめている「あたりまえ」の喜びさえ否定されるべきものなのか、という疑問がぬぐえなかったのです。

「かわいそうな人である」という前提でお膳立てしなければならないのか。
普通にお話したり、一緒に仕事をして汗を流したりするのはダメなのか。
人々が無視をし続け、支援パッケージを提供し続けるだけで本当に良いのか。

疑問がふつふつと湧いてきました。

お金に困ってる人と、困ってない人は再配分でしかつながることができないのかな?

尊敬する大学のゼミの先輩が、私の心のモヤモヤを言語化してくれました。生活保護や職業支援、炊き出しといった支援策はあったと思います。

ただ、こうした再配分以外にも「つながり」を持てる場があってもいいのではないか

まさにこの意識が、「炎上」との理解のズレにあるように思いました。

※もちろん、様々な事情で他人とのコミュニケーションを好ましく思わない方もいらっしゃると思います。
そのような人たちに強制せよ、ということではなく、「生きているんだから、いろんな選択肢があっていいよね」という理解です。

③行政(大阪市)がPR記事とした「案件」であったこと

とはいえ、本事業は大阪市が広告代理店の電通に委託した事業である、という側面もあります。

税金を使ってPR記事を出す、いわば「行政案件」に違和感を覚える方がいらっしゃるのも、時代が「過渡期」なので、ある程度理解はします。

※伝えたいターゲットに伝わることが何よりも大切です。
区報・市報や、役所のホームページ以外にも、様々なチャネルが用意されてタッチポイントが増えることは良いことだと私は考えます。

また、「政策の優先順位が違う!」「PR記事に使うカネがあるなら、生活支援に回すべき!」という主張も完全に賛同はしないまでも、理解するところではあります。

「これはWeb版ジェントリフィケーションである」という批判、ただ美談に昇華しているだけという見方もあると思います。(私は人々の営みにはいろんな切り口があるよね、と思いますが)

ただのエッセイではなく、行政によるPR案件であったことも、この問題を難しくさせている大きな一要素であることは間違いありません。

ただし、表現の自由は保障されなければなりません。いくらPR記事であろうと、いくら批判が相次ごうと、「公開取り下げ」を大阪市・松井市長が判断することだけは、絶対にしないでほしい。そう強く願ってやみません。

新今宮エリア。西成。

この街を、初めて訪れたのは3年前の夏でしたが、目と鼻の先に「あべのハルカス」がそびえたつのとは対照的に、様々な光景に衝撃を受けたのを覚えています。
「注射針を捨てないでください」とコンビニのトイレに張り紙があり、数十円の飲み物が自販機に並び、一泊1000円にも満たないような簡易宿泊所、日雇いの仕事を求めて人が溢れるあいりん地区の職安・・・

それと同時に、クリエイターや若者向けのコミュニティアパートメントが誕生したり、星野リゾートが進出したりと、誤解を恐れずに言えば「ごちゃまぜ」な状態が作られようとしています。

大阪を訪れた際は、必ずといっていいほど、この西成の町を歩いているので、この「炎上」問題からはどうしても目が離せませんでした。

閑話休題。

今回のキャンペーンを西成ワンダーランドではなく、”新今宮”ワンダーランドと銘打った点からも、西成の地域に生きる方々やその生活を、「見えなくさせていた」歴史的・文化的な背景があると思います。

「人の人生をネタにするな。」その通りかもしれませんし、そうじゃないかもしれない。

「眠くなった。寝るわ。ありがとう」

「こちらこそ。よく寝てくださいね」

「よく寝れると思う。なんか、あの、ストレスがなくなった」

「ストレス?」

「うん、気持ちがいい。スーって」

「お風呂入ったからじゃなくて?」

「風呂もあるけど、そうじゃなくて……なんか、あの、喉の奥が、スーって。すごい息しやすい」

この元記事に登場した「お兄さん」が幸せを感じられたならば、よかったじゃない。そう思うのです。


公助はもちろん必要です。差し伸べるべき手は差し伸べるべき。

それと同時に今回の炎上は「公助のフレームの中に閉じ込めておくべきもの」というようにも感じられて、とても悶々とするのです。

包摂のあり方が問われているように感じました。

もちろん分断を産みたいわけでもないので、もっと皆さんの意見もお聞かせください。

それでは、また。

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